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KADVO 特定非営利活動法人 神奈川海外ボランティア歯科医療団
私たちの活動は、活動開始の1982年よりフィリピン・セブ島を中心に、毎年の無料歯科診療活動、口腔衛生教育活動を実施するとともに、4回の口唇・口蓋裂閉鎖手術、また、日本より歯科衛生士を現地に常駐させ、学童に対するフッ素洗口法を用いた予防活動などを実践してきました。
またタイにおいても1998年から同様の活動を実施するなど、歯科診療に恵まれない人々に対して奉仕活動を継続してきており、同時にこの活動を通して両国民と日本国民との相互理解と友好を深めることにも努力してまいりました。
しかしながら、この間対象国の口腔環境に期待する改善になかなか至らないということも事実です。
フィリピンでは、戦後の日本が高度成長期に経験したように、経済成長の発展により増大する砂糖の消費量に比例して、齲蝕、歯周病が増加傾向にあるにもかかわらず、いまだ国民全体に対して歯科治療・予防及び口腔衛生教育等は行きわたっていないのが現状であります。
また、この状況はタイ国においても多くの地域に存在すると思われます。
この原因として、
日本のような健康保険制度がないこと、
いまだ対象国に、いわゆる貧困層が多く存在し、経済的な問題から歯科治療を受けることができないこと、
口腔環境の健全化に対する意識が低いこと、
歯科医療機関の絶対数が少ない点などが考えられます。
そこで、両国の歯科医療の機会に恵まれない人々に対して診療活動を実施するだけでなく、口腔衛生教育や予防活動を行い、意識の向上と口腔の健全化を図る努力もして来ました。
また、高額な費用を必要とする口唇・口蓋裂の閉鎖手術を実施する事で、この障害を持ち、かつ貧困に在る若い人々に「会話」という人間にとっての基本的コミュニケーションの確立と、健常者と同等な社会参加への「機会」を得ることを可能にして差し上げたいと、活動して参りました。
開始以来継続してきたこれらの活動から気付くこととして、我々の活動対象国を含めた東南アジアでは、未だに多く存在する貧困とそこから派生する数々の問題、すなわち家庭に於ける虐待や養育放棄、社会的には麻薬汚染、窃盗、殺人などの犯罪も現前としてあることです。
この問題解決の方策として長期的ではありますが、「教育」の普及であると考えました。
就学できない子供たちに「教育」の機会をあたえることにより将来に夢を持つことができ、かつ安定した社会生活を営むことができるように支援する事が出来たらと考え、本人の意志が有るにも関わらず就学が困難な子供たちに資金を提供し、就学を促す教育支援プロジェクト(KADVO-HEART PARENTS)を2004年度より開始いたしました。
今後、対象国の恵まれない方々に対して、歯科診療のみならず、健康と幸せな生活の手助けをすることができますよう活動の充実を図って参りたいと思います。
何卒、皆様のご理解とご協力を、そして活動への参加を心よりお願いしたいと思います。

セブ・日本人会
【濃密なコロナの日々(セブ島通信11月号) 】
セブ日本人会副会長
櫻井絹恵
2020年のような激動の年はこれまであっただろうか。まさかのパンデミックが世界中の人達の生活と人生を驚天動地させるほど一転させた。世界中で大都市だけでなく小さな街までも次々にロックダウンされ、人の往来や交通の移動が止まった。セブでも3月28日からロックダウンが始まったが、それがまさかのギネスブック殿堂入りする世界最長のロックダウンになるとは誰も予想すらしていなかった。
我が家では半年分の米、食料や生活物資や水、プロパンガス、発電機用のディーゼルを買い込み、ガチな籠城生活を想定して自宅に籠った。希望の無い毎日が重く押し被さってくる感じがした。
セブ島はビーチリゾートの観光地であり、マニラに比べ治安も良いことから英語学校で英語を学ぶ若者を中心にした多国籍の語学留学生が増えていた。今回の新型コロナ感染拡大を受けフィリピン政府が3月13日に語学学校を含む全ての学校に対して一斉に休校指示の通達を出した。フィリピンでは国内線および国際線を減便またロックダウンによる運行停止で2000人以上の学生や観光客、また在留邦人が日本へ戻れなくなった。セブ島からの日本への脱出は空路しか無い選択肢。フィリピン政府は感染拡大防止策として入国に関しては厳しく、外国人の出国に対しては可能な限り支援する方向で対応した。
3月
セブ日本人会と有志の方々が心をひとつにして3月20日に第一陣の臨時便2機で帰国を希望する日本人を成田へ飛ばした。民間の臨時便の為、フィリピン航空運賃は自己負担で片道1000ドル以上と高額な運賃に吊り上げられた。それでも日本へ帰国させないと感染リスクと休校による寮の閉鎖の為、滞在先の無くなった学生達の治安確保のために口がカラカラになるまで説得して特別便に乗せた。シンドラーズリストさながらの命を守る搭乗者リストを作成して、ロックダウンで交通手段のない人達にボランティアが車を出したり、許可を取るなど対応した。空腹を我慢しながら頑張るフィリピン航空の職員と日本人有志ボランティアを支えるため、炊き出し隊も結成し飲み物や家庭料理で腹から応援した。PALの支店長も我々の団結力を絶賛し、この最強のチームがバックアップについてくれるのであれば、幾便でも特別便を出すと言われた。不可能を可能にし伝説を作れたのは、松田会長が先頭に立ち、皆が一丸となりボランティア精神の汗と涙の結晶があったからこそ出来たのだと思う。フィリピン航空8便と韓国系航空会社2便の特別便を飛ばし2200人を帰国させる事ができた。この偉業は多くのメディアからも取り上げられ、高く評価された民間レベルでの支援であった。
6月後半
セブ市では全国一の新型コロナウイルスの感染者数で1日350人以上が感染し、セブ市が全国感染者数1割を占めるホットスポットになってしまった。中央政府がセブ市のコロナ対策を調査介入する事態となり、全国で唯一の防疫強化地域延長になった。ビサヤ地方コロナ対策総括責任者シマツ環境天然資源相が指揮を取った。重武装の警察特殊部隊(SAF)160人も投入され、街は国軍の兵士が溢れ各地で検問所が設けられた。各検問所は通行パス無しでは猫一匹も通れなくなった。特に越境では厳しかった。国軍の装甲車が走っているのを普通に目にする様になり、緊迫した空気が街を覆った。
感染者数の多いバランガイは厳格な防疫封鎖が実施された。中心地にあるバランガイルスもそのひとつで、NPO誰でもヒーローの奨学生が居住する地域でもある。感染リスクが高い環境で、内山代表は支援者の協力を受けながら奨学生だけでなく地域住民の命を繋ぐ支援活動を継続したのには頭が下がる。
セブ州の病院で医療崩壊が起こり深刻な状況に陥った。身近なフィリピンの友人達10人が感染し次々と亡くなった。セブ日本人会の会員で観光業に携わっていた前野君が脳卒中で倒れ、満床を理由に複数の病院をたらい回しにされたあげく、適正な治療を受けることもなしに命を落とした事は大変無念であったと思う。前野君の御冥福を心より祈るばかりだ。
運命を変えた友人の決断
私事だが隣の事務所のガードが感染していると分かり、自らの家族を自主的に抗体検査を受け陰性を確認した。内には孫だけでなくガード家族の子供3人も含め4人の子供がいる。ロックダウンされてからの数ヶ月、外に一歩も出たことがない子供達は注射だというのにワクワクしていた。可哀想になって「泣かなかったらジョリビーのお昼ご飯が待ってるよ。」と言ったら、一番下の4歳のニニャまでもが歯を食いしばって痛みを耐えた。
本来なら雨の降らない乾期の時期(3月から5月)に延び延びになっていた我が家の大々的な補修工事をする予定になっていた。雨漏りがするので屋根や樋を全てやり変え、家の内装や外装のペンキの塗り替えまで計画していた。しかし、いつ何処で感染するか分からない状況で安全を考慮した上で延期するしかないと判断した。
家にガッツリいる間に工事を済ますという考えもあったが家族の安全第一を考慮すると踏み切れなかったのが運命を分けた結果となった。近所の華僑の友人宅は私と反対の決断をし自宅の改装工事を行った。大工や施工業者など全ての工事関係者に外出禁止にしていたにも関わらず、その中の一人が夜中に抜け出し、彼女の所に会いに行っていた。その男が無症状感染者で何と世帯主のオイ弁護士と長女を感染させてしまったのだ。長女は中度で済んだが、御主人は命を落とす結果となった。友人は自分を責めて今も立ち直れない状態で、15キロも激痩せしてしまっている。気の毒過ぎて言葉も出てこない。
そして、ついに一番起きて欲しくない事が起こった。別れた亭主がコロナ感染し、濃厚接触者が二人の息子と84歳の義理の母と高齢の世話役のチェリー、そして高度障害で寝たきりの息子が自宅にいる義弟だと分かった。家族全員に衝撃が走った。真っ先に脳裏に浮かんだのは可愛い孫の顔だ。絶対に感染させる訳にいかないと思うと涙が出てきた。友人達が次々に感染して、デリバリーだけで生活していた親戚までもコロナ感染で入院していると聞き、どんどんコロナに包囲され迫って来ている感がしていただけにショックは大きかった。先ず、濃厚接触者全員がPCR検査を受け、陽性であればその家族も全員検査を受ける事で同意した。検査も接触してから1週間後でないと正確な検査結果が出ないそうで心配と恐怖で眠れない日が続いた。元亭主は華僑経営のチョンフア病院のコロナ病棟に入院したが、日増しに状況が悪くなり呼吸困難とサインカインストームで重症化した。入院中は毎日食べれそうなものを作って届けさせた。明日は命が無いかもしれない状況で闘病する彼にエールを送った。家族や多くの友人達も祈り続けてくれた事にも感謝する。お金さえ出せば何でも手に入るフィリピンでは日本やアメリカのコロナ医療で使われている特効薬も手に入る。一番効を奏したのは抗体治療で強運の持ち主の彼は生き延びた。命の重さが金で決まるフィリピンを改めて実感した時でもあった。抗体治療だが、厳格な防疫封鎖を行った地域で感染した住民の中には新しいサイドビジネスで抗体の出来た血液を売っているらしい。最初は5千ペソ代だったのが10倍以上になっていると言うから驚きだ。
経済も集中治療室に入ったフィリピン。嫌でも経済を回して行かないとコロナ感染より飢えで命を落とす人達が出てくる。9月になり修正防疫地域から一般防疫地域になった。感染者数も数字の上では激減して多くの市民も外出するようになった。フィリピンのトレードマークであったジープニーはソーシャルディスタンスが不可能な為認可されず、その代わりに大型バスが市内を走っている。マスクとフェイスシールド着用義務が市の条例で決められ、建物に入る時や公共の交通機関に乗車する時はマストになっている。
ホテルやレストランも消毒と検温、さらにQRコード登録や筆記による個人情報を提出しクラスターが出たときは追跡する体制になっている。私は必要不可欠な時以外外出はしない。5割や7割のイートインになっても、感染リスクは常に付き纏うので不特定多数の人が行かない家での集まりで済ます様にしている。ポットラックでの自宅料理持ち寄りやカシノエスパニョールなどからの料理で息子家族や仲の良い友達と会って話をするのは格別な時間である。ロックダウンの時の話し相手は基本的に愛犬の愛と太郎かお手伝いさんで、会話も犬語かビサヤ語の単純内容になっていた。これまで従事してきた環境事業や医療支援活動が全て止まり、全く先が見えない状況に精神的にも追い込まれていく自分が嫌になっていた。
そんな中でひたすら魂を入れて作ったのが家庭料理。私はアメリカやロシア、フィリピンでの生活の中で学んだ料理や海外旅行の度に仕入れるレシピ本で世界中の料理が出来るほど料理にはある程度自信がある。有機栽培をしている親しい友人が市場が止まってしまった為行き先の無くなった野菜を分けてくれて、これが大変ありがたかった。市場では買えないものばかりで家族や友人達にお裾分けをし喜んでもらえた。豆腐も製造している業者が分かり、グループで注文するようになったのも食生活を充実してくれた。我が家には息子家族が同居していて食べ盛りの子供がいるので、気をつけていても子供が食べてもらえるメニューになってしまう。週5回も行っていたジムへも行けなくなり、有酸素運動でやっていたステップも筋トレもしない数ヶ月間の籠城生活であっという間にメタボになってしまった。かなりヤバ過ぎるレベルで悩み始めていた時、セブ日本人会オンライン医療相談で日本人医師に相談する機会を頂いた。今まで幾度も命を繋いで貰っている先生で私は一生足を向けて眠れない。検査はダンスで酷使した左足踵のアキレス腱下部の骨棘のレントゲン撮影、血液検査と尿検査。レントゲンとラボテストでコロナ感染リスクの高い病院で長時間過ごすのは不味いんじゃないかと家族に言われ、早朝6時から並んで民間のラボで検査を受けた。結果は全てネットで送ってもらったが、ラボテストの数値の悪さに目が点になってしまった。何と生活習慣病に全て当てはまる様な数値である。どう考えても半年でここまで悪くなるとは考えにくい。私はラボの数値を疑い、再度パルペチュアル病院のラボラトリーで検査した。10時間水も食べ物も口にせず、早朝5時の普通の人が行かない時間に行って検査を受けた。病院でのラボ検査メリットは24時間受付ていて検査結果も正確で早いという事だ。最初からこれにすれば良かったと後悔したが後の祭り。結果はコレステロールだけが高く努力すれば下がる程度だった。わざわざコレステロールを下げる為に薬も飲む必要がないと言われ、心を入れ替える事にした。
今ハマっていること
友人に勧められて今ハマっているのが断続的断食である。いわゆるプチ断食で最高の体調を手に入れようというものだ。断食というと食べ物を一切口にしないので、辛く苦しいといったイメージがついて回るが計り知れないメリットがある。16時間の絶食時間をつくり、8時間の間に食事を済ます。毎日これを繰り返す。飢餓感を体験して自食作用の状態にする。要するに細胞が自身を食べて自分の細胞を分解し栄養の素材にするで、その際に、不要な細胞やゴミや汚れも一緒に分解して、浄化してくれる。また自分の細胞に入り込んだ病原体も分解する作用があり、細菌などの病原体への抵抗性が高めてくれる優れたダイエット方法だと思う。9月2週目から始めたこの方法で既に6キロ減に成功している。
後悔しないためのこれからの生き方
先の見えない料理おばさんも8ヶ月以上毎日同じ事をやってるとさすがに疲れが出てきている感がある。自分の中でもコロナでリセットされ、マジに人生を変えようという気になって来た。そんな中で今年のラニーニャの影響で故郷、鹿児島が幾度も台風の脅威にあった。実家の母は高齢で体も少し不自由になって来ているので、一度かなり良い有料老人ホームに入居させた事があるが本人が気にいらず、入居2ヶ月後に自宅に戻ってしまった事がある。現在はデイケアやヘルパーサービスなどを入れて頑張って現状維持出来るようにしているが、余りにも不安材料が多過ぎる。本来なら一人娘の私は味噌汁の冷めない所で住むべきだったが親不孝にも40年間海外生活を続けてきた。母の不憫さを思い知らされたのが台風10号で、気象庁が最大級の警戒を呼びかけ鹿児島県本土が甚大な被害が出そうになった事だ。奇跡的に紙一重で大きな被害は出なかったが実家は一部損壊してしまった。台風接近前に母を医療型短期利用特定施設に3日間の予定で滞在させたが、本人は自宅に拘り2日目で帰ってしまった。色々と考えた末、来年早々から本腰を入れ日本にいる母の介護をする事にしている。今しないといつ出来るのかと自分自身に問いた時に今しかないでしょうというのが上からの答えだった。もし母に何かあって一生後悔するよりも、勇気を出して一歩踏み出す事にした自分。遅かれしながらの親孝行だけど、今まで出来なかった分を取り戻していきたいと思う。
最後に
コロナパンデミックはまだ半分しか来ていない。大統領選が終わったアメリカでは感染者が一日12万人を超え、感染者数は既に1千万以上を超えている。ヨーロッパでも第三波が来ていて再度ロックダウンされている。ひょっとすると、今後数年間、感染リスクは我々に付きまとってくる可能性がある。東京オリンピックでさえ崖っぷちで中止になってもおかしくない状況だ。ファイザーが9割強の予防効果がある新型コロナワクチンの臨床試験が成功し市場に出るのも秒読み段階に来た。未知のウイルスなだけにワクチン投与は慎重に行って欲しい。
とにかく油断する事なく自己防衛に努める事だ。これまでとって来た基本的な感染対策が重要である事には変わりはない。これからはコロナ前と同じような事をしても生き残れない。ニューノーマルを受け入れ、各個人が本当の価値観を見出す事だ。名声や物質的な物にとらわれず、大切なものを守っていく。家族や友人達の為にも生き抜いてほしい。
セブ日本人会副会長
櫻井絹恵
2020年のような激動の年はこれまであっただろうか。まさかのパンデミックが世界中の人達の生活と人生を驚天動地させるほど一転させた。世界中で大都市だけでなく小さな街までも次々にロックダウンされ、人の往来や交通の移動が止まった。セブでも3月28日からロックダウンが始まったが、それがまさかのギネスブック殿堂入りする世界最長のロックダウンになるとは誰も予想すらしていなかった。
我が家では半年分の米、食料や生活物資や水、プロパンガス、発電機用のディーゼルを買い込み、ガチな籠城生活を想定して自宅に籠った。希望の無い毎日が重く押し被さってくる感じがした。
セブ島はビーチリゾートの観光地であり、マニラに比べ治安も良いことから英語学校で英語を学ぶ若者を中心にした多国籍の語学留学生が増えていた。今回の新型コロナ感染拡大を受けフィリピン政府が3月13日に語学学校を含む全ての学校に対して一斉に休校指示の通達を出した。フィリピンでは国内線および国際線を減便またロックダウンによる運行停止で2000人以上の学生や観光客、また在留邦人が日本へ戻れなくなった。セブ島からの日本への脱出は空路しか無い選択肢。フィリピン政府は感染拡大防止策として入国に関しては厳しく、外国人の出国に対しては可能な限り支援する方向で対応した。
3月
セブ日本人会と有志の方々が心をひとつにして3月20日に第一陣の臨時便2機で帰国を希望する日本人を成田へ飛ばした。民間の臨時便の為、フィリピン航空運賃は自己負担で片道1000ドル以上と高額な運賃に吊り上げられた。それでも日本へ帰国させないと感染リスクと休校による寮の閉鎖の為、滞在先の無くなった学生達の治安確保のために口がカラカラになるまで説得して特別便に乗せた。シンドラーズリストさながらの命を守る搭乗者リストを作成して、ロックダウンで交通手段のない人達にボランティアが車を出したり、許可を取るなど対応した。空腹を我慢しながら頑張るフィリピン航空の職員と日本人有志ボランティアを支えるため、炊き出し隊も結成し飲み物や家庭料理で腹から応援した。PALの支店長も我々の団結力を絶賛し、この最強のチームがバックアップについてくれるのであれば、幾便でも特別便を出すと言われた。不可能を可能にし伝説を作れたのは、松田会長が先頭に立ち、皆が一丸となりボランティア精神の汗と涙の結晶があったからこそ出来たのだと思う。フィリピン航空8便と韓国系航空会社2便の特別便を飛ばし2200人を帰国させる事ができた。この偉業は多くのメディアからも取り上げられ、高く評価された民間レベルでの支援であった。
6月後半
セブ市では全国一の新型コロナウイルスの感染者数で1日350人以上が感染し、セブ市が全国感染者数1割を占めるホットスポットになってしまった。中央政府がセブ市のコロナ対策を調査介入する事態となり、全国で唯一の防疫強化地域延長になった。ビサヤ地方コロナ対策総括責任者シマツ環境天然資源相が指揮を取った。重武装の警察特殊部隊(SAF)160人も投入され、街は国軍の兵士が溢れ各地で検問所が設けられた。各検問所は通行パス無しでは猫一匹も通れなくなった。特に越境では厳しかった。国軍の装甲車が走っているのを普通に目にする様になり、緊迫した空気が街を覆った。
感染者数の多いバランガイは厳格な防疫封鎖が実施された。中心地にあるバランガイルスもそのひとつで、NPO誰でもヒーローの奨学生が居住する地域でもある。感染リスクが高い環境で、内山代表は支援者の協力を受けながら奨学生だけでなく地域住民の命を繋ぐ支援活動を継続したのには頭が下がる。
セブ州の病院で医療崩壊が起こり深刻な状況に陥った。身近なフィリピンの友人達10人が感染し次々と亡くなった。セブ日本人会の会員で観光業に携わっていた前野君が脳卒中で倒れ、満床を理由に複数の病院をたらい回しにされたあげく、適正な治療を受けることもなしに命を落とした事は大変無念であったと思う。前野君の御冥福を心より祈るばかりだ。
運命を変えた友人の決断
私事だが隣の事務所のガードが感染していると分かり、自らの家族を自主的に抗体検査を受け陰性を確認した。内には孫だけでなくガード家族の子供3人も含め4人の子供がいる。ロックダウンされてからの数ヶ月、外に一歩も出たことがない子供達は注射だというのにワクワクしていた。可哀想になって「泣かなかったらジョリビーのお昼ご飯が待ってるよ。」と言ったら、一番下の4歳のニニャまでもが歯を食いしばって痛みを耐えた。
本来なら雨の降らない乾期の時期(3月から5月)に延び延びになっていた我が家の大々的な補修工事をする予定になっていた。雨漏りがするので屋根や樋を全てやり変え、家の内装や外装のペンキの塗り替えまで計画していた。しかし、いつ何処で感染するか分からない状況で安全を考慮した上で延期するしかないと判断した。
家にガッツリいる間に工事を済ますという考えもあったが家族の安全第一を考慮すると踏み切れなかったのが運命を分けた結果となった。近所の華僑の友人宅は私と反対の決断をし自宅の改装工事を行った。大工や施工業者など全ての工事関係者に外出禁止にしていたにも関わらず、その中の一人が夜中に抜け出し、彼女の所に会いに行っていた。その男が無症状感染者で何と世帯主のオイ弁護士と長女を感染させてしまったのだ。長女は中度で済んだが、御主人は命を落とす結果となった。友人は自分を責めて今も立ち直れない状態で、15キロも激痩せしてしまっている。気の毒過ぎて言葉も出てこない。
そして、ついに一番起きて欲しくない事が起こった。別れた亭主がコロナ感染し、濃厚接触者が二人の息子と84歳の義理の母と高齢の世話役のチェリー、そして高度障害で寝たきりの息子が自宅にいる義弟だと分かった。家族全員に衝撃が走った。真っ先に脳裏に浮かんだのは可愛い孫の顔だ。絶対に感染させる訳にいかないと思うと涙が出てきた。友人達が次々に感染して、デリバリーだけで生活していた親戚までもコロナ感染で入院していると聞き、どんどんコロナに包囲され迫って来ている感がしていただけにショックは大きかった。先ず、濃厚接触者全員がPCR検査を受け、陽性であればその家族も全員検査を受ける事で同意した。検査も接触してから1週間後でないと正確な検査結果が出ないそうで心配と恐怖で眠れない日が続いた。元亭主は華僑経営のチョンフア病院のコロナ病棟に入院したが、日増しに状況が悪くなり呼吸困難とサインカインストームで重症化した。入院中は毎日食べれそうなものを作って届けさせた。明日は命が無いかもしれない状況で闘病する彼にエールを送った。家族や多くの友人達も祈り続けてくれた事にも感謝する。お金さえ出せば何でも手に入るフィリピンでは日本やアメリカのコロナ医療で使われている特効薬も手に入る。一番効を奏したのは抗体治療で強運の持ち主の彼は生き延びた。命の重さが金で決まるフィリピンを改めて実感した時でもあった。抗体治療だが、厳格な防疫封鎖を行った地域で感染した住民の中には新しいサイドビジネスで抗体の出来た血液を売っているらしい。最初は5千ペソ代だったのが10倍以上になっていると言うから驚きだ。
経済も集中治療室に入ったフィリピン。嫌でも経済を回して行かないとコロナ感染より飢えで命を落とす人達が出てくる。9月になり修正防疫地域から一般防疫地域になった。感染者数も数字の上では激減して多くの市民も外出するようになった。フィリピンのトレードマークであったジープニーはソーシャルディスタンスが不可能な為認可されず、その代わりに大型バスが市内を走っている。マスクとフェイスシールド着用義務が市の条例で決められ、建物に入る時や公共の交通機関に乗車する時はマストになっている。
ホテルやレストランも消毒と検温、さらにQRコード登録や筆記による個人情報を提出しクラスターが出たときは追跡する体制になっている。私は必要不可欠な時以外外出はしない。5割や7割のイートインになっても、感染リスクは常に付き纏うので不特定多数の人が行かない家での集まりで済ます様にしている。ポットラックでの自宅料理持ち寄りやカシノエスパニョールなどからの料理で息子家族や仲の良い友達と会って話をするのは格別な時間である。ロックダウンの時の話し相手は基本的に愛犬の愛と太郎かお手伝いさんで、会話も犬語かビサヤ語の単純内容になっていた。これまで従事してきた環境事業や医療支援活動が全て止まり、全く先が見えない状況に精神的にも追い込まれていく自分が嫌になっていた。
そんな中でひたすら魂を入れて作ったのが家庭料理。私はアメリカやロシア、フィリピンでの生活の中で学んだ料理や海外旅行の度に仕入れるレシピ本で世界中の料理が出来るほど料理にはある程度自信がある。有機栽培をしている親しい友人が市場が止まってしまった為行き先の無くなった野菜を分けてくれて、これが大変ありがたかった。市場では買えないものばかりで家族や友人達にお裾分けをし喜んでもらえた。豆腐も製造している業者が分かり、グループで注文するようになったのも食生活を充実してくれた。我が家には息子家族が同居していて食べ盛りの子供がいるので、気をつけていても子供が食べてもらえるメニューになってしまう。週5回も行っていたジムへも行けなくなり、有酸素運動でやっていたステップも筋トレもしない数ヶ月間の籠城生活であっという間にメタボになってしまった。かなりヤバ過ぎるレベルで悩み始めていた時、セブ日本人会オンライン医療相談で日本人医師に相談する機会を頂いた。今まで幾度も命を繋いで貰っている先生で私は一生足を向けて眠れない。検査はダンスで酷使した左足踵のアキレス腱下部の骨棘のレントゲン撮影、血液検査と尿検査。レントゲンとラボテストでコロナ感染リスクの高い病院で長時間過ごすのは不味いんじゃないかと家族に言われ、早朝6時から並んで民間のラボで検査を受けた。結果は全てネットで送ってもらったが、ラボテストの数値の悪さに目が点になってしまった。何と生活習慣病に全て当てはまる様な数値である。どう考えても半年でここまで悪くなるとは考えにくい。私はラボの数値を疑い、再度パルペチュアル病院のラボラトリーで検査した。10時間水も食べ物も口にせず、早朝5時の普通の人が行かない時間に行って検査を受けた。病院でのラボ検査メリットは24時間受付ていて検査結果も正確で早いという事だ。最初からこれにすれば良かったと後悔したが後の祭り。結果はコレステロールだけが高く努力すれば下がる程度だった。わざわざコレステロールを下げる為に薬も飲む必要がないと言われ、心を入れ替える事にした。
今ハマっていること
友人に勧められて今ハマっているのが断続的断食である。いわゆるプチ断食で最高の体調を手に入れようというものだ。断食というと食べ物を一切口にしないので、辛く苦しいといったイメージがついて回るが計り知れないメリットがある。16時間の絶食時間をつくり、8時間の間に食事を済ます。毎日これを繰り返す。飢餓感を体験して自食作用の状態にする。要するに細胞が自身を食べて自分の細胞を分解し栄養の素材にするで、その際に、不要な細胞やゴミや汚れも一緒に分解して、浄化してくれる。また自分の細胞に入り込んだ病原体も分解する作用があり、細菌などの病原体への抵抗性が高めてくれる優れたダイエット方法だと思う。9月2週目から始めたこの方法で既に6キロ減に成功している。
後悔しないためのこれからの生き方
先の見えない料理おばさんも8ヶ月以上毎日同じ事をやってるとさすがに疲れが出てきている感がある。自分の中でもコロナでリセットされ、マジに人生を変えようという気になって来た。そんな中で今年のラニーニャの影響で故郷、鹿児島が幾度も台風の脅威にあった。実家の母は高齢で体も少し不自由になって来ているので、一度かなり良い有料老人ホームに入居させた事があるが本人が気にいらず、入居2ヶ月後に自宅に戻ってしまった事がある。現在はデイケアやヘルパーサービスなどを入れて頑張って現状維持出来るようにしているが、余りにも不安材料が多過ぎる。本来なら一人娘の私は味噌汁の冷めない所で住むべきだったが親不孝にも40年間海外生活を続けてきた。母の不憫さを思い知らされたのが台風10号で、気象庁が最大級の警戒を呼びかけ鹿児島県本土が甚大な被害が出そうになった事だ。奇跡的に紙一重で大きな被害は出なかったが実家は一部損壊してしまった。台風接近前に母を医療型短期利用特定施設に3日間の予定で滞在させたが、本人は自宅に拘り2日目で帰ってしまった。色々と考えた末、来年早々から本腰を入れ日本にいる母の介護をする事にしている。今しないといつ出来るのかと自分自身に問いた時に今しかないでしょうというのが上からの答えだった。もし母に何かあって一生後悔するよりも、勇気を出して一歩踏み出す事にした自分。遅かれしながらの親孝行だけど、今まで出来なかった分を取り戻していきたいと思う。
最後に
コロナパンデミックはまだ半分しか来ていない。大統領選が終わったアメリカでは感染者が一日12万人を超え、感染者数は既に1千万以上を超えている。ヨーロッパでも第三波が来ていて再度ロックダウンされている。ひょっとすると、今後数年間、感染リスクは我々に付きまとってくる可能性がある。東京オリンピックでさえ崖っぷちで中止になってもおかしくない状況だ。ファイザーが9割強の予防効果がある新型コロナワクチンの臨床試験が成功し市場に出るのも秒読み段階に来た。未知のウイルスなだけにワクチン投与は慎重に行って欲しい。
とにかく油断する事なく自己防衛に努める事だ。これまでとって来た基本的な感染対策が重要である事には変わりはない。これからはコロナ前と同じような事をしても生き残れない。ニューノーマルを受け入れ、各個人が本当の価値観を見出す事だ。名声や物質的な物にとらわれず、大切なものを守っていく。家族や友人達の為にも生き抜いてほしい。

KADVO'S 30TH ANNIVERSARY
History of the KADVO & CDS Joint Free Dental Mission ......It all started with a friendship
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Batang Pinangga Foundation Inc.
After modules, let's have fun.
「私たちを待っている患者さんがいる」
幸せな生活の手助けと友好と親善のために

神奈川海外ボランティア歯科医療団(Kanagawa Alliance of Dental Volunteers Oveseas以下KADVO)は、1982年に数名の日本人歯科医師によるフィリピン・セブ島民の歯の健康状態視察をきっかけに、1984年正式にセプフリーデンタルクリニックとして活動を発足した全国歯科医療ボランティア団体です。以来35年以上の間に、ラオス、タイなど活動国を広げ、歯科医療活動の他にも、就学を促す教育支援プロジェクト(KADVO-HEART PARENTS)、その他国内でも数々のチャリティイベントを行なっている特定非営利活動法人です。対象国の恵まれない方々に対して、健康と幸せな生活の手助けをすることができますよう活動の充実を図って参りますので、どうぞ皆様のご理解とご協力を、そして活動への参加を心からお待ちしています。
KADVOの主な活動
ハートペアレンツ事業
KADVOハートペアレンツ里親奨学金制度は、貧困などのために教育の機会に恵まれない子供たちに就学を支援する国際教育里親プログラムです。